学童を増やそう 2018/10/8 日経新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO36235910X01C18A0PE8000/
子どもが小学校に上がったとたん安心できる預け先がなくなり、仕事に支障がでることを「小1の壁」という。女性の活躍を阻む大きな要因のひとつだ。新プランはさらに女性の就業率が上がることを見込んで立てたという。壁を低くし、なくしていくためにも、着実に実行してほしい。
日経新聞に学童に関する記事がアップされていました。
女性の社会進出を阻む問題の一つに子育ての大変さがあります。
保育園では一般的に午後3時のおやつの後に降園となるのですが、『延長保育』というものがあって午後7時くらいまで子どもを預かってもらえます。
しかし、小学校1年生から3年生の低学年は15時前後で終わってしまい、下校しなければなりません。
両親の共働きが広がり、核家族化も進んでいる現在は、下校後の子どもを見守る環境が整えられているとはいえません。
子どもを育てる社会環境がなくなってきている
私は幼少期は市営の団地に住んでおり、弟が2人いたので、集団下校をした後は団地の友達と毎日遊んでいました。
いま思えば市営の団地ってすごく子育てにいい環境だったと思います。
家賃もそんなに高くないし、同世代の子ども達がたくさんいて、その子ども達が作る社会でたくさんのことを学びました。
理不尽に威張り散らす嫌な年上の先輩(ガキ大将)や弟とは全く性格の異なる後輩などができ、そのような年下の子どもにはどのように接しなければならないのかなど、自然に学んでいきました。
先輩にいじめられたなぁ・・・
噛みつかれて泣かされたこともあります。
あと、団地の周りを自転車競走し、友達に大怪我をさせたこともあります。
母と一緒にその子の家に謝りにいったことはいまでも覚えています。
小学校高学年になると子ども達の遊び場は、小学校周辺に移っていき、団地から1キロくらい先にある小学校に自転車行くことが大冒険のように感じていました。
小学校低学年の子ども達は放課後はどのように過ごしているのか
私が塾講師として働いた時、驚いたのは小学校1年生くらいの子どもが塾で勉強しているということ。
最初は、「こんな小さいころから勉強などさせずにあそばせたほうがいいのに・・・」と思っていたのですが、保護者の方と話をしてみると「預ける先がないので塾にあずけている。塾は精神安定剤」っておっしゃっていたのが印象に残っています。
そのくらい小学生の預け先がないんですね。
確かに私の子どものころは遊ぶ相手も遊ぶ場所も困ることはありませんでした。
団地に住んでいたこともありますが、団地以外でも校区内の神社や公園や空き地、収穫が終わった田んぼやみかん畑で遊びまくっていました。
また、そんな時も神社の神主さんや農家の方や商店街の人などの大人の目も行き届いていたような気がします。
しかし、いま私が住んでいる東京ではそのような環境ではありません。
ボール禁止の公園が多かったり、商店街もチェーン店ばっかりで顔見知りになる大人がなかなかできなかったり。
そもそも、凶悪な事件が定期的にニュースになったりするので、なかなか子どもだけで遊ばせることは難しいように感じます。
その解決策としては、やはり母親が仕事に都合をつけて早めに帰宅するのが大勢ではないかと思っています。
(女性だけが犠牲になるのはよくないと思っているので、本来は父親と分担すべきと思っています)
学習塾の月謝は高い
小学校が学べる学習塾の月謝を調べたところ、月に3万円弱でした。
毎月三万円かぁ〜。
結構な金額ですね。
子どもが二人預けるとなると6万円。
いい金額が毎月失われるんですね。
このような状況だと二人目の子どもは難しいと考えてしまいますね。
学童の月謝について
私が住んでいる目黒区大岡山の公立の学童は月に8000円でした。
子どもが二人以上いると、二人目が4000円に割引されるそうです。
民間の、学習塾よりも破格のやすさですね。
学童保育を民間の力でもっと増やそう
教育というものは未来への投資と言われます。
その投資の意味はもちろん家庭にとっての投資の意味もあります。
我が子に良い教育をほどこし、立派に社会に出て活躍してほしいという親の投資の意味と同時に、国としての投資です。
優秀な人間を育てて、その人が活躍できる環境を与えることが、豊かな社会の基盤になると考えていますので、教育は国の投資という意味もあります。
家庭にとって、国にとっての投資である教育。
学童保育という分野に一つの課題があるのであれば、それは民間企業にとってチャンスです。
上記の日経新聞の記事にあるように、保育所などに比べると基準は緩やかだそうです。
学童保育に付加価値(義務教育が教えていないこと)を加えられないか?
いろいろと学童保育について調査していますが、私がいままで経験してきたことを学童で教えると面白そうです。
英語、金融、プログラミング。
情報端末がどんどん発達してインターネットがすぐそばにあるような時代になってきました。
理科、社会、漢字などの暗記科目は、メガネ型端末に『OK、Google。目の前にある問題の答えを教えて!』と声をかければ、メガネの横についたカメラが問題を読み取り、すぐにインターネット上から答えを検索し、それをメガネのレンズに映し出してくれるような時代がくるため、試験の意味をなさなくなると思っています。
このように簡単に知識を共有してくれる時代に、暗記科目は必要なのでしょうか?
これから必要なのはそのような情報サービスを構築してく力、また昔から言われていますが、コミュニケーション能力などの対人関係を良好に構築していく性格、そしてこれまでにない価値を創造する起業家精神なのだと思っています。
私は、そのような時代にあった新しい学問を教えるようなサービスを作っていきたいです。